お茶 が 日常生活の中に溶け込んでいたのはいつの時代だろうか。
いつの時代でも お金だ経済だと血眼になっているのかもしれない。
大阪商人の先見の明は、 時代の息吹なるものが背景にあって、
現世の利益たる武器と時代の精神たるお茶が、天秤よろしく釣り合っていたのか、
はたまた その精神たるお茶をも現世利益に包含する度量であったのか。
今日 外国へ旅する商人は お金の計算はできても 日本の文化については寡黙ときく。
諸外国の人々の眼には、どのように見えるのであろうか。
なんだか気恥ずかしいし、自分ではどうであろうかと聞かれると、はなはだこころもとない。
日本文化の入門は お茶 だと思う。その卒業もお茶だと思う。
書 華 器 鋳物 香 飾物 衣服 建物 立ち居振る舞いなどの所作に始まって、
諸人との会話の妙にいたるまで、これ文化の結晶ではないだろうか。
西洋の舞踏会に匹敵するものが、お茶の世界におけるお茶事であるようにも思われる。
日常生活の中にもう一度 お茶を!
和室に床の間、炉を切ってお茶を一服。炉を切らずに風炉でも良い。とにかく茶一服。
忙しい人こそ茶一服。自分で茶を点ててこその一服である。
茶を点てることによる何気ない所作のなかに、足下を見つめる 刻 があるように思う。
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